1999年01月18日
2.

カルガリー空港からホームステイ到着までの流れ
バンクーバーの移民局で1時間以上待たされたため、カルガリー行きの飛行機に乗り遅れそうになった。ビザを取得する方は、早く移民局は行くように。何とか、飛行機に搭乗しいよいよカルガリーへ。ロッキー山脈が眼下に広がっていた。空港到着、どんな人が待っていてくれるのか不安と期待で一杯だった。対面後すぐ、絶望感に襲われる。彼らは、ネイティブカナディアンでなかった。
自己紹介後、彼らの家へ到着。CILSには、スキーをするネイティブカナディアンを要求したが、全く期待外れだった。差別をするわけではないが、彼らはインドネシアからの移民だった。カナダは、移民の国なため、そういった移民者が生活の糧としてホームステイファミリーになっているケースがかなりあります。到着後、韓国とメキシコからの留学生と対面。部屋は、ベースメントでとても寒く、暗かった。
最悪のホームステイ滞在 まず、カナダの習慣になれるために、色々なことをホームステイマザーに尋ねる。電話,食事時間,帰宅時間,学校への行き方などなど。英語が少し通じたが、親身に答えてくれてくれず、ガッカリ。。。あまり期待はできないなーと実感した。食事も留学生だけで食べた。3週間もすると、生活にも慣れてきたので、彼女に会話の時間を持ってもらうことをお願いしたが、一切おかまいなし。何のためにホームステイファミリーになっているのかわかったので、すぐにホームステイ先を探す。学校の受付に相談しても、ほとんど相手にしてくれなかった。
2番目のホームステイ滞在
英語上達のためには、絶対カナダ人宅に滞在しなければいけないと感じていたので、他の留学生達のホームステイ先を聞いたり、紹介してもらったりした。ようやく、1件良さそうなファミリーを見つけ、すぐ移動したいとお願いした。即OKの返事。そのマザーに会話時間と発音の矯正も当然お願いした。そして、最悪の場所から移動。。。6週間の地獄から開放された気がした。子供もいてすごく温かい家庭だった。ファミリーはとても好きだったが、仕事が忙しいらしくあまり話す時間が持てなかった。
学校生活と韓国人との交流
冬のCILSは、生徒数がとても少なく2クラスしかなかった。校長のDavidは、とても穏やかでやさしい人で留学生のために色々と苦労していることがすぐわかった。
授業構成は「Conversation,Pronunciation,Composition,Reading,Speaking,Listeing,Activity」と良くまとまっていた。最初の2ヶ月、授業はまったくついていけなかった。何を言っているのかさっぱりわからないし、話せなかった。日本での英会話学校で何を学んだのか疑問が浮かんだ。でも、4月に入り、何とか聞けるようになってきた。学校で知り合った韓国人2人がアパートを探していることを知り、同居したいと尋ねる。
学校生活の終わりと学生ビザ取得
4月末、3ヶ月のCILSの学校生活が終わり、仕事探し。でも全く英語に自信がなかったため、日本人レストランをあたってまわった。厨房内で食器洗いをした。でも、すぐに後悔。 カナダで働くという一つの目的はあったがこれは違っていると判断。仕事探しのため、バンフまで行くが、ビザの期間が短いため、雇用者は相手にしてくれず、これまた断念。
WHビザが失効するため、学生ビザを取得することにし、校長から1年間のレターをもらった。就労ビザから学生ビザへの変更には、一旦、カナダを出なければならない。アメリカのシアトルのカナダ領事館では、いやらしい質問を幾つもされた。すぐにビザが取れず、WHビザが失効する直前に何とかカルガリー南のモンタナ州との国境でビザが取れた。このように、運が悪いととてもビザのトラブルで苦労することになります。
Posted by admin at 1999年01月18日 23:30
